覚悟するということ・・・

延岡市民力市場の福田です。第2回の市民ワークショップの最後の挨拶の際、私が言った「覚悟しましょう」という言葉の意味について少し書かせていただきます。というのは、その後、いろんなところで「覚悟するって?」といわれたこともありましたし、もう一度、駅まちに関わり始めた多くの市民の皆様に、この市民ワークシッョプが単なる市民の声を聞く会ではないことを確認しておくことが必要だと感じているからです。

 この種の市民参加のワークショップでは、「こうしてほしい」とか「こうなればいいなぁ」といった意見が氾濫します。それはそれでみなさんのまちづくりへの期待とか、夢とかを知ることができて、とてもイイ事だと思っています。しかし、そう言う方の向こう側には、行政に対する要望とか、注文というニアンスが相当含まれています。

 はっきり、いいますが、この市民ワークショップは、そんな行政に対する要望を言う会ではないのです。その証拠に、行政は、まだ計画の設計図が出来る前から市民に情報を提供し、さぁ、どうしましょうということを市民に問うという姿勢を一貫して崩してないことを、私たち市民は強く感じなければなりません。先日の首藤正治市長のコラムにも「JR延岡駅周辺についても、ただきれいな建物ができるだけでは意味がない。要はどれだけの賑わいの場を作れるかだ。」と、見た目のキレイさが目的ではなく、その周辺の賑わいを作る仕掛けや、それを担う人づくりを市民総力戦でやっていく舞台として市民ワークショップを位置づけ、参加する市民に「批評家でなく、まちづくりへの参加者であってほしい」と述べています。それが、私のいう「覚悟」なのです。
 首藤市長をはじめ、延岡市は、駅周辺の整備を従来の、建物というハード重視の考えを捨て、市民と一緒にやろうとするにあたっては相当の葛藤があったと思います。結果がどうあれ、行政内だけで粛々と事業を進めれば事は成るという手法を捨てて、市民と一緒に一定の仕組みの中とはいえ、ほぼ白紙から描き始めるというのは、やはり「覚悟」を決めたのだと思うのが妥当です。その行政の覚悟を受け止め、一緒にその舞台に立った市民にも同様な「覚悟」が必要だと思うのです。

 さて、私は延岡市の市民協働センターを立ち上げる際、似たような「覚悟」を経験しました。私たちは以前から市民活動団体の活動拠点の必要性を訴え、その整備を“要求”してきました。それに延岡市は応え、いまのセンターが出来たわけですが、そのとき延岡市は「センターは造るけど、運営・管理は市民でやってねぇ」と私たちに言いました。つまり貴方たちが要求したことには応えますが、それから先は市民の問題と突き放したのです。その瞬間から、公共サービスをただ受けるだけの市民から、自分達の拠点として、自らその施設の整備から運営・管理のあり方を自分達で考え、決めていく。一億円以上の費用をかけて整備する公共施設を私たち市民も“公人”として、対応することを求めたのです。行政の公共施設を市民に任せる「覚悟」、それを任される市民の「覚悟」がともに公共に取り組む形を生んでいくのだと思うのです。

 新しい駅周辺の整備。わたしたちはその場を公共の空間として、市民が公人となってどう活用するかの議論を進めていくためには、やはり「覚悟」を持ってなくてはならないと考えています。さぁ、みなさんそろそろ覚悟しましょうか。そして、仲間も増やしていきましょう。9月23日の第3回市民ワーキングでそんな仲間と会うことを楽しみにしています。

fukuda